more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

追悼スペシャルウィーク

 

この種の記事はあまり慌ただしく書きたくないなぁ、と思っておりまして、まとまった予定のないGWというタイミングで取り掛かることにいたしました。放牧中の事故起因でその時を迎えたようです。

スペシャルウィーク号が死亡 JRA

過去にもいろいろ書いていたはずだなぁ、と旧ブログのdecade内を検索していたら、ありましたね。種牡馬引退時点でひと区切りの記事を書いていました。手抜きじゃないですよ、個別のレースなりの回顧については以下をお読みいただければ。本人がまとめたことを忘れている時点でだいぶダメですけどね。


京都大賞典トライアルライド

亡くなってからこちら、過去のレース映像を観返していました。以前「未来に語り継ぎたい名馬」という優駿の読者投票の企画があり、スペシャルウィークは18位だったようで、レーシングビュアーに特設ページが設けられています。そこで全レースの映像を観ることができますので、是非。有料かもしれませんが。

未来に語り継ぎたい名馬

 

当時は不思議だった京都大賞典の大敗。映像を再確認して、そういえばラップを見たことがないと思い至りましてJBIS-Searchへ。JRAのサイトでは2000年までしか記録を遡れないんですよね。天皇賞秋と合わせてレースラップを眺めてみたところ、納得感がございました。並べてみましょう。

1999京都大賞典
13.1-12.0-11.7-12.8-12.6-12.2-12.1-12.1-11.2-11.5-11.2-11.8

1999天皇賞
12.8-11.4-10.8-11.5-11.5-11.9-11.8-12.2-11.8-12.3

京都大賞典は4番手付近での先行策。残り800から逃げ馬を捉えています。しかし、ユタカさんキツ過ぎるでしょうw あるいはこの地点の計測が微妙だったでしょうか。0.9の急加速があったかというとなんとも。。。

いずれにしても、4ハロン前後のロングスパートが求められたのは間違いなく。これでラスト1ハロンをバテずにツルマルツヨシと競っていたらそれこそ化け物でしょう。

それに加えてローテーション。3歳秋からコンスタントに1年、宝塚記念までレースに出続けていたことは、心身ともにダメージが大きかったのかもしれません。個人的な心象とお断りしつつ、上記2戦は調子が上がらない中で戦っていたものと思われます。天皇賞秋は前傾ラップを逸らすような後方待機策でしたから、調子より鞍上の判断が大きかったのでは。ジャパンカップ有馬記念と調子を取り戻していったイメージでおります。

…これは邪推が過ぎるかもしれませんが、京都大賞典は惨敗してもよい、というトライアルに武豊が仕立てた、という仮説が脳裏に浮かんでいます。前哨戦であえて厳しい条件を課して(=宝塚で完敗した先行策かつロングスパート)惨敗した場合は次走G1での戦略変更(=後方待機)についてファンも含めたステークホルダーに納得感をもってもらえる、という。

もちろんすべて勝ち続けられるなら御の字なのでしょう。仮に京都大賞典を先行策からそつなくまとめたとしたら、天皇賞でも同じ先行策に囚われてしまう可能性があり。天皇賞のメンバー構成から前傾ラップの可能性を想定し、その先のグラスワンダー対策まで見越していたとしたら。ライバルに通じなかった先行策をどこかで見限るシナリオも必要だったのでは、などと考えてしまっております。

あ、ここでいうグラスワンダー対策は「グラスワンダーを後ろからマークして差すこと」ですね。さらに個人的な妄想になりますが、1999年有馬記念に関する自分の見立てがありまして。武豊はこの差す形に拘っていたのではないかと。詳しくは以前の投稿を参照ください。


とにもかくにも、差しに脚質を定めながら秋古馬3冠を1、1、2着でまとめることになったわけですので、ひとの側の戦略は大きなウェイトを占めているのだなぁ、などと勝手に納得しているところではあります。


王道を歩み続ける強さ

戦歴からは、連勝後の印象的な敗戦と、そこから巻き返しての勝利という、ファン心理を振幅させるアップダウンが読み取れます。ドラマチックと呼ぶべきでしょうかねぇ。故障や夏負けという別のアップダウンと向かい合っていたグラスワンダーとのライバル対決も含めて、各レース前から様々にファンが語る時間が多かったことが、その死を悼むファンが多いことにそのままつながっているように思っています。

「王道を歩み続ける強さ」。JRAのヒーロー列伝、競馬場やウインズに貼ってあるポスターですね。スペシャルウィークのコピーはこの言葉でした。

おそらく京都大賞典はフィジカルもメンタルもきつい時期ではなかったかと想像します。もちろん馬も人も。それを乗り越えてラストランの有馬記念まで、王道のローテーションを歩み続けたのは強さと表現するに足るものでしょう。ライバルがいなければ、適性を超えて主要4場でG1制覇をなしていたかもしれませんね。

競走成績は以下の通り。

www.jbis.or.jp

最後に

自分はフサイチコンコルドをほぼ最期まで追いかけましたが、厳しい末路を迎えるケースも少なくない中で、ダービー馬を最期まで見届けられるのは競馬ファンとしてはとても有難いことと心得ています。生まれ故郷の牧場での余生というのは、ひとつの理想ですね。関係者の尽力に感謝するばかりです。

産駒の活躍も含めて、いや孫の代にも及んでいますね、長く楽しませてくれたことにも感謝しつつ。

細身で漆黒の馬体、かっこよかった。お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。