more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

Twitterアカウントロックと情報過多と程よい週末

6日間、Twitterが閲覧できませんでした。よしあしですね、という話を少し書こうと思います。

回復までの顛末

先週木曜の朝にアカウントロックを示す画面がでまして、閲覧が不可能になりました。目が覚めてスマホを開いてすぐでしたので、最初は何が起きたのかよくわかりませんでした。

画面に促されるままパスワード変更しましたが、問題は解消せず。今度は本人確認のための電話番号入力画面が表示されました。利用当初から番号登録はしていませんでしたので、ここで入力する必然性もないでしょうし、そもそもルール違反にあたる利用方法には身に覚えがありませんでしたので、申し立てフォームから別のロック解除方法を教示してほしいとのメッセージを送りました。

…週明けになっても回答なし。自動返信メールの文中には対応に2、3日かかるとのメッセージがありましたので、いちおう律義に間をとったのですけどね。再度催促のメッセージを送ってから約1日。水曜朝に通常通り使用できることが確認できました。が、対応報告にあたるメッセージはなし。むむむ。

「無料で利用しているからこんなもの」「いや、諸々のマーケティングに情報提供している形なのだから」などと、サポートの質に対する毀誉褒貶罵詈雑言がひととおり脳裏を一巡しておりましたが(…さすがに「毀誉」はないですね)、祝日の木曜朝にお詫びの文面が書かれたメールが着信。スパムを自動生成するアカウントを削除するシステムに誤って引っ掛かった(=誤認識)の可能性があるとのこと。調べてみたら、AIですね。ちょっと古い記事ですが。

www.itmedia.co.jp

というわけで、現在は無事にTwitter閲覧しております。対応ありがとうございました、というお礼と、そもそも誤認しながらじゃないと精度が上がらない機械学習というアプローチでサービスの質が保てるのかという問題と。また起こるかもしれませんしね。いずれにしてもいったんはオチはつきました。

えー、ここで書き残そうと思ったのはそのクレーム的な顛末と憤った様ではなく、その結果生じたある種の情報過疎的な状態についてあれこれ考えたことです。ちょっとした発見がありましたというお話を少々。

リアルタイムで競馬の情報が取れない

日常的に、それこそ浴びるようにTLから競馬に関する情報を摂取していましたので、急な停止はなかなかにリズムが崩れました。

平日ですと、有力馬の動向や調整過程の細かな情報、各馬の能力比較や馬場適性、先週の馬場コンディションから類推してアジャストする馬はどれか、血統の傾向など事前に分析可能な情報を摂取。土日だと、レース結果はもちろん、現地の天候やレースが進む中でのトラックバイアスの見立て、関係者のレース後のコメントなどなど。。。フォローしている皆さまの予想も観ていますが、どちらかというとその着眼点をたくさんインプットしていました。

予想に至るまでの情報収集に限りませんね。引退馬の近況や、在りし日のレースを回顧するコメント、オフィシャルアカウントの宣伝やお遊びなど、ファン心理の振幅が大きくなる情報も同時に浴び続けていました。

全部パタッと止まりましたからね。noteなりYouTubeなり個別のブログなり、Twitterの投稿やリンクから閲覧していたという依存度が大きく影響したのは間違いありません、ブックマークやRSSはあまり使ってなかったのかと後から気が付くものですね。

ロックされた最初の1、2日、とても物足りない感覚で過ごすことになりました。ロックされているのをわかっていても、スマホの待受画面からポンとTwitterアイコンを押してしまうんですよね。流れができている、癖がついているなぁと実感いたしました。

別アカウント、という端的な解決方法は浮かんでいたのですが、ちょっと意固地になっていたのは確かです。そもそも、いちからフォローするなり検索するなり、欲しい情報を探すコストが膨大になりますから、ロック解除の可能性と天秤にかけていたという側面もあります。

情報取得への受動的な態度が過多

いずれにしても、自分から取りにいってはじめて情報が得られる状態が続きました。不便ではあるのですが、改めてここに気が付きました。自分で設定しているとはいえ、これは情報のインプットに対して受動的な態度なんですよね。特にタイミングについて。

先ほど浴びるという形容をした通り、TLを更新すると「自分から求めていたわけではない」情報が目の前に現れるわけです。認識してしまうので反応する、気持ちが動かされていく、という状態。そりゃあ公式リリースとかBreakingとか【!】とか、どうしても受動的になる情報はあるわけですが。

自分の関心が立ち上がるタイミングで新しい情報に向き合う時間を限りなく摩滅させて、TLの動きに合わせて振幅していたら、それは疲れますよね。自分のリズムではないわけですから。

Twitterでの情報取得自体が悪だとは思っておらず、Twitter閲覧の長さ=情報取得への受動的な態度をとる時間の長さ、であると改めて気が付いた次第です。誰かからその理屈を聞いたとしても納得するところではあるのですが、今回はかなり体感を伴った受け取りなおしになりました。

受動から能動へ

アカウントロック中の日曜メインは2重賞、東京新聞杯きさらぎ賞。いつものインプットがない中で、自分から手を伸ばして情報を集めて、自分なりに見立てをつくって予想する、といういつもと違うリズム。ちょっと新鮮で楽しかったですね。

結果はどちらも外れたのですが、敗因分析も能動的に。そういえば目新しさばかりでワクワクしていたビギナーの頃は、もっともっと能動性を発揮していたなと。楽しく取り組む自分のリズムをつくるのに、SNSどっぷりはあまり健全ではないのかも、という態度に至っております。

ちなみに予想ですが、東京新聞杯はカタナの見立てを間違えて、2、3着(カテドラル、シャドウディーヴァ)の馬連を悔しがりました。一方のきさらぎ賞は控えるであろうランドオブリバティの能力値に期待したのですが、単勝勝負はやり過ぎという結果。ラーゴム、ヨーホーレイクを軽視していた点が反省材料です。

…こうしてみると、やっぱり情報取った方がこのあたりの評価のピントは合いそうな気がしてきました。せっかくSNSと上手く距離を取れたのにね。

ジェネレーションギャップもあるかも

情報を浴びることに疲労感を覚えやすいのは、10代20代の過ごし方、能動的に働きかけてはじめて得られる刺激が中心だったという側面もありそうです。慣れていない、ということかなと。

自分の関心事以外の情報を捨象することに慣れている、と言い換えてもいいかもしれません。だって、受動的に情報取り続けながら自分の感情が触れるものだけ選択していれば時間が経過していますものね。ある種の中毒性はこのあたりに感じますし、自分がどんな価値のバイアスを持った人間か、見失いやすいツールとして機能してしまう可能性もあります。

Google検索が企業のSEO対策にまみれてリアルじゃないと忌避されるトレンドがあったのは、2015~2016年というイメージがあります。調べてみたらInstagramの利用者数が増えた時期と重なっていましたので、概ねピントは合っていそうですね。インスタでの検索で1日過ぎるユーザーも一定数いるのでしょう。

Tiktokにしてもマッチングアプリにしても、ユーザーに探すコストを負わせない工夫が情報設計のあちこちに仕組まれていますよね。そうした便利さに慣れている層にとって、先に自分が述べた情報収集に関する能動性は全く違う意味をもっているのかもしれません。

最後に

意識的に情報のインプットを止めることの重要性を語るコラムなどはビジネス系のブログで目にしていました。まさか、競馬の情報収集でその着想が役に立つとは。

単にインプットを強制遮断するのではなく、受動的な情報収集を止める時間をつくる、ということがポイントなのだろうと理解しているところです。打撃系の格闘技でも勝負が決まりやすいのは、予期して防御しているときよりも予期しないところからカウンターを打たれたとき、ですものね。例えになっているのかしら。

おそらく情報過多とインプットの選別というのは、人間が歴史上はじめて直面している問題なのかなとも。新たな土地や石油など自然エネルギー、いわゆるブルーオーシャン的に、有限さを意識せずに取り扱われてきた資源があるわけですが(そして有限さに直面しているわけですが)、いまいまは人間の脳の情報処理能力がそれにあたるのかな、などとふわふわ考えているところです。

競馬のブログのようでちょっと同心円上にはない内容になりましたが、競馬を楽しむという点では地続き、という話でございました。