不器用な名牝。改めて捉えなおしたウオッカには「不器用」という言葉がよく馴染んでおります。
訃報から2日。ようやく言葉にする時間と空間を得ました。どうしても日常に紛れながら書くつもりにはなれなかったんですよね。
どのような症状であったかはこちらの記事が詳しく。
右後ろの第三指骨、粉砕骨折とは。。。第三指骨は蹄骨のことですので、蹄の先端部分の骨、ここを痛めるとなかなか厳しいですね。。。3/10に骨折が判明してから、4/1死亡までおよそ半月強。蹄葉炎を発症しながらよく頑張ったと思います。
訃報を目にしたのは4/3日中。JRAの発表も3日ですね。当日はほぼ定時で退社できましたので、帰り道でウオッカをひと瓶買って、帰宅後にDVDを引っ張り出しひととおり観る儀式に浸っていました。ショックではありますが、悲しいという感情ではなく、寂しいの方がしっくりくると感じながら、雄大で優雅なストライドを堪能しておりました。
リアルタイムで書き散らしたブログ記事も再度目を通しました。言葉を選んで書いたつもりで感情の振幅が駄々洩れている、いまよりは雑な記事。でも稀代の名牝に思い入れていた自分は、確かに振り返ることができましたので、寸暇を惜しんで書いていた甲斐もあったのでしょう。
みっつほど当時の記事を転載しておきます。
ひとつ目はダイワスカーレットと2cm差を分けた2008年の天皇賞秋の後。
ふたつ目はほろ酔い気分で書いていた2009年安田記念直後。タイトルがもういい気持ちですよね。
みっつ目は引退を脳裏に置きながら見届けた2009年ジャパンカップの感想。
現在のような展開の読み解きを中心にしていない投稿ですので、個人的にも新鮮。2cm差のジャパンカップのあとは、本当に引退でよいと思っていましたね。
デビュー戦から見直したいまいまの印象をいくつか言葉にして、追悼の投稿にしようと思います。
スタートの良さと折り合いと息の長さのアンバランス
デビュー戦で見せたように、馬自身が合わせていけるスタートの良さ、そして鞍上の静止を振り切るような前進気勢。これだけみると一本調子で押し切る競馬なら教えることが少なく済みます。が、2戦目から道中の折り合いを求めて四位に鞍上をスイッチ。これがいろいろな意味でのちのウオッカを形成したといえると思います。
いまならルメールかデムーロが前受けしながらハミをかけて、エンジンを吹かして先行するスタイルになっていたかもしれません。でもそれですと、あの鮮やかなダービーを目にすることはできなかったでしょう。
そうですね、だからこうしたタラレバは興味深くも無意味で、面白いんですよね。
そして、先に紹介した当時の投稿でも書いた通り、個人的には(そうでもないかな)ダイワスカーレットには総排気量で見劣ると思っています。有馬記念を待たずにそう思っていましたし、ダイワスカーレットの圧倒的な有馬記念はその見立てを強化する材料となりました。…よくあの天皇賞を勝ちましたよ。
相対的にスイートスポットの狭さを感じさせる
当時のライバルと伍していくにあたって、スーパーホーネットの毎日王冠のように短距離馬の瞬発力には少し見劣り、中距離の厳しいラップでのスタミナ勝負も少し見劣るという能力。そこにスタートの速さ、前進気勢の強さ、そして大きなストライド。スタミナを上手に使いにくい特性の組み合わせに映ります。
作戦として逃げるべきか差すべきか。鞍上が変わるたびに戦法に変化があったのは、単に前任者との差異をつくりたいわけではなく、結果につなげるための能力の引き出し方、その試行錯誤があったのでしょう。
2度の毎日王冠の逃げは、逃げ馬不在のなかで取らざるを得ない戦法だったかもしれません。その状況下で、単なる溜め逃げでもサイレンススズカでもない、鞍上独自の工夫がラップ構成に表れているように思います。順に2008年、2009年のラップです。
12.7-11.5-11.6-11.9-11.6-11.5-10.5-11.3-12.0
13.0-11.3-11.5-12.2-12.0-11.7-10.9-11.1-11.6
…直線に向いてウオッカが自らスパートを始めている、ように見えますね。
全戦歴
ここで挟んでおきましょうか。JBIS-Searchから。
戦略的な鞍上のスイッチは3度という認識
武豊から岩田への乗り替わりが2度ありますが、前者はスズカフェニックスの先約、後者はメイショウサムソン(その後落馬負傷で石橋守)と、それぞれレースでのパフォーマンスとは関連しないものでした。3度とは、2戦目の鮫島→四位、最初のドバイデューティーフリーの四位→武豊、そして勝利したジャパンカップでの武豊→ルメール、この3つですね。こうみると岩田の2度の騎乗はスポットだったことが窺えます。
2度目と3度目の乗り替わりは、いずれも待機策から差し届かなかったレースのあと。
京都記念は典型的なスポイルですしね。四位から武豊への乗り替わりは海外遠征に長けたジョッキーを、というメッセージでくるまれていました。
一方のジャパンカップの際には折り合いに先入観のないジョッキーを求めた旨コメントが出ていました。いずれもジョッキーへの配慮が滲むオーナーのジャッジだったと理解しています。配慮が勝って乗り替わりそのものを譲っては本末転倒でしょうしね。
そして、乗り替わったレースはいずれも前々で運んで成績を上げています。後方待機で折り合いに重視したことが、乗り替わった後のレースでプラスに働くという皮肉な構図もあったかもしれません。このあたりにウオッカの不器用さを強く感じるところです。
パンプアップしたウオッカ、シャープなウオッカ
5歳の春と秋で、陣営の仕上げ方にはずいぶん異なっていた印象があります。連覇した安田記念を除いて、府中で走った際はほぼパドックで見ていましたが、春先はかなりパンプアップした姿だった一方、秋のジャパンカップ制覇までは比較的シャープなシルエット。
もちろん個人の印象ですので本当のところはわかりませんが、目標となるレースに向けて仕上げ方を変えてきたのだろうと推測しています。マイルG1が続く春は爆発力を重視、一転して秋は2400mでの切れを求めるためスプリント寄りのパンプアップを抑えて息長い末脚を発揮できるようにチューニングしたのかなと。
この印象が合っているなら、武豊の秋2戦(毎日王冠、天皇賞秋)はある意味パワー不足の馬体で折り合い重視しなければならない、難しい条件下で騎乗していたのではないか、とも思っております。ルメールに乗り替わって結果がでましたが、引き続き武豊でジャパンカップに臨んでいたら…。これは観てみたいところですね。
ダービーを巡るオーナーとトレーナーの距離感
これがとても好感を覚えていまして。桜花賞後、勝ってダービーというプランはダイワスカーレットを捉えられなかったことで一度崩れた格好になりました。その後、オーナーからもトレーナーからも「ダービー」という話は出さなかったようです。このあたり、ポニーキャニオンのDVDに詳しいので是非。
互いの性格や思惑への配慮がそうさせていたようですね。「ダービー」という言葉を相手から引き出したかったようにも見えます。あー、責任を押し付けるわけでなく、お互いに相手の判断を妨げてしまわないよう、お先にどうぞと譲り合うような間があったものと理解していますよ。
最後はオーナーが水を向けて、トレーナーから「ダービーでもいいんですか」という言葉を引き出しましたね。現場の見ている視野を取り込むことができ、何より馬の将来を前向きに選び取る、すばらしい関係性と決定プロセスであったと思っています。
ありうべきオーナーシップとは適切なオーダーを出せること、と常々考えていまして、このエピソードはまさに理想的なオーダーでありました。ウオッカがウオッカである所以はこの陣容だったからこそ、ともいえそうです。
最後に
この調子だと思い出が止まりませんね。府中のスタンドで何度ウオッカと叫んでいたことか。あの天皇賞秋も現地観戦で、着順が確定するまでのスタンドの空気もよく覚えていますよ。
この土曜から各競馬場で記帳が始まるとのこと。不器用な名牝を偲んで、行ってこようと思っています。
お疲れさま。ありがとうございました。