more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

追悼ダンスインザダーク

新年早々に残念なニュースが舞い込んできました。

JRAの発表です。27歳、老衰による起立不能とのことです。

www.jra.go.jp

一報に触れてぱっと思いあたったのはふたつ。ダービーのパドック映像と『名馬の理』という本です。

いまならダービー本命はダンスインザダーク

自分の競馬歴は96年ダービー、フサイチコンコルドに肩入れするところからスタートしています。こちらに引っ越す前のブログ、「more than a decade」ではついに青森まで追っかけにいった様子を雑に綴っています。そんなバイアスがありますので、当時ダンスインザダークは完全にライバルという位置づけで捉えていました。

懐かしいですねー。対決の構図に端的にワクワクしながら、ネットのない時代、書籍や雑誌で情報収集にのめり込んでいた夏を過ごしていたのを思い出します。

ダービーの馬券も本命という明確な認識もなく、人気している馬との組み合わせを買うという程度でした。ダンスインザダークとの馬連はそれで手にしていたわけです。いまなら折り返しなしの馬単、なんてこともできますが、当時は馬単ありませんしね。

きっとコンコルドが亡くなった頃でしょう、96年ダービーの中継映像を観る機会がありました。当時はパドックで馬を見せるということも知りませんでしたし、改めて振り返るという発想にも至っていませんでしたので、とても新鮮な印象だったのを覚えています。そして、パドックを周回するダンスインザダークの姿が一番目立って見えました。ちょっと鮮烈でしたね。かつての自分には大変申し訳ないのですけど、自分はこの馬をライバル視していたのかと。だいぶ無理してたなと(笑)

そのことを思い出してYouTubeへ。やっぱりダンスインザダークの馬体が抜けてよく見えました。正直、いまの自分が見立てるなら、あのパドックでダンスを差し置いてコンコルドを本命には推せなかったでしょうね。

菊花賞の4コーナー、ダンスインザダークからワールドプレミアへ

その流れで96年菊花賞の映像も。レーシングビュアー、G1であれば2000年以前の映像もありますし、「未来に語り継ぎたい名馬」という以前の企画で全レースの映像があがっています。

その菊花賞、あの上がりは語り草ですね。4コーナーで前が捌けずポジションを下げる姿。そこからインを突く判断はジョッキーのファインプレーだと思いますが、前方の馬を捌ききれなかったこと自体は先に挙げた2戦と同様。今では卓越した技術という語られ方が多い武豊ですが、このあたりに発展途上という表現を当ててもよいのかもしれません。昨年のワールドプレミアでは、4コーナーで下がってくる馬を見事に捌いてインを突いていますので、ここに成熟を見るのもファンの楽しみ方と思っています。

長距離適性?

自身が菊花賞を勝ち、ザッツザプレンティデルタブルースの2頭のG1勝ちの産駒から、長距離馬というイメージが定着している印象があります。ただ、現役のレース振りからは長距離をこなせる中距離馬という表現の方が適しているように思っています。

新馬戦はマイルなんですよね。上位入線馬はほぼ4コーナーの通過順のままゴールになだれ込んでいるのですが、先頭からだいぶ離れたインの5番手から一頭だけ末脚を伸ばして差し切り。追い出してから大きくインに切れ込む、なかなかに粗削りなレース振りでした。

一方、ラジオたんぱ杯ときさらぎ賞は前方馬群を割って出てくるまでに時間を要した分の惜敗。いかにもトモがしっかりする前という、3歳時のハーツクライリスグラシューのような印象もあります。

また、鞍上武豊は折り合い面でだいぶ苦労したことをコメントしています。社台スタリオンステーションに見学にいく番組企画でのコメント、前進気勢の強いタイプであったことが窺えます。

晩成傾向ではあるのでしょうが、こうして自身の特徴を並べると長距離一辺倒とは言い難い印象がありますね。安田記念を勝ったツルマルボーイが例外的な認識でいたのですが、案外こちらの方がダンスインザダークらしいのかもしれません。

ふるさと案内所のページでは主な産駒が一覧されていますが、短距離重賞で活躍した馬もいますね。

uma-furusato.com

『名馬の理』第6章

2016年に出版された『名馬の理』という本。橋口元調教師の半生を描いた一冊ですが、この第6章がダンスインザダーク。自分が出会った中で、96年クラシック、ダンスインザダークフサイチコンコルドをこれだけ詳しく取り上げている書籍はないと思っています。

特に両調教師、特にフサイチコンコルドの小林師の人物についてかなり掘り下げていまして、このことが特に96年ダービーの明暗、その輪郭をより際立たせることにつながっています。著者の石田敏徳さんが直接取材を下地に書かれているのが大きいでしょうね。

ダンスインザダークが常に期待を集めながらクラシックに臨んでいく経緯がよくわかる一冊、一読いただければと思います。

もし菊花賞以降もキャリアが続いていたら

菊花賞直後に屈腱炎が判明して引退が決まったわけですが、もしその後順調にいっていたら。当時は天皇賞秋の翌週が菊花賞でしたから(今でいうとアルゼンチン共和国杯の週ですね)、ここから中2週でジャパンカップに向かうとは少し考えにくいでしょうか。

年内もう1戦するなら有馬記念。あの時のサクラローレルと伍して戦うことができていたか。また、主戦武豊マーベラスサンデーとどちらを選んでいたのか。そして年が明けての4歳(当時は5歳ですね)、天皇賞春を目標にしていたら3強という構図にどう割って入っていたか。…いや、このたらればは興味深いですね。

最後に

老衰ということで納得感はありつつも、競馬を始めたころの活躍馬が逝ってしまうのはなかなかに寂しさを覚えますね。楽しい時間をありがとうございました。おつかれさまでした。