more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

ディープインパクトの訃報に寄せて

17歳ですと人間では50代くらいでしょうか。少し早く逝ってしまいました。

社台スタリオンステーションのリリース

7/30のお昼に一報を確認しています。ディープインパクトに「逝」の字が並んでいることが一瞬うまく受け止められませんでした。

shadai-ss.com

頚椎骨折による安楽死

ひとつの記事で手術に至る経緯と術後の容体、安楽死の判断までがわかるとよいのですが、なかなかひとまとまりになった記事がなく。以下、2つの記事でおおよその経緯が理解できました。

北海道新聞の取材記事、社台スタリオンステーションの徳武さんのコメントをまとめています。頸部の不調の原因がはっきりしなかったこと、手術をしないといずれ状態が悪化する見通しだったこと、手術は米国の医師が執刀したこと、手術は無事に成功してディープもリラックスした状況だったことが語られています。

headlines.yahoo.co.jp

一方、Number Web、島田さんの記事では手術と別の箇所で骨折が見つかったとの記述が。この件を書いている記事が他に見当たらなかったんですよね。

number.bunshun.jp

関係者の尽力を受け止めるばかり

いくつかの記事で、頸椎の手術について日本での前例がなかったことが報じられていました。もう少しまとまった取材記事を待たないといけないかもしれませんが、これらの情報を総合すると、なかなか難しい状況下で判断を余儀なくされたことが汲み取れます。おそらくは日本で最も多くの臨床経験をもっている社台ホースクリニックで症例がなかったわけですから。同じ馬主さんでカネヒキリの肝細胞移植による屈腱炎治療が思い浮かびました。あの時も成功例がない中でのチャレンジだったと記憶しています。

SNSではことの経緯に疑念を覚える言葉も散見されていますが、関係者の怠慢や安易な酷使などおよそ考えられないでしょう。その時点での最善を目指してくれたこと、伝わってきております。サンデーサイレンスの時は、とある専門家の方に直接長文メールで思いをぶつけてしまったのですが、若気の至りと恥じ入るばかり。生き物ですからいつまでも元気ということも、アクシデントが皆無ということもありえないですからね。

何とも言い難い喪失感

週中はなかなか仕事が手につかず。はい、ディープロスといえばわかりやすいでしょうか。明確な喪失感というよりは、どこか気持ちの落としどころがないというふわふわした心地が続きました。

ディアドラの快挙に気持ちのリセットが効いたのか、府中の競馬博物館で記帳してきたためか、いまはディープインパクトのいない世界線をちゃんと受け入れ始めているところです。もちろん関係者の心痛とは比べるべくもないわけですが。

英雄のフリカエリ

土曜は実家へ向かい、置きっぱなしにしていたDVDとサラブレ監修の本を引っ張り出してきました。週末の夜はディープインパクト。いやいや、感動は再生しますね。

ディープインパクトカメラであのフォームをアップで堪能しつつ、関係者のコメントを読み進める贅沢な時間。当時どんな気持ちでいたか、当時の競馬場の雰囲気や論調なども思い出しているところです。

このあと別の投稿で、網羅的な総括ではなく、個人的な心象をまとめておこうと思います。なるべくコンパクトにしたいですが、きっと言葉を尽くしてしまうでしょうね。