more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

サトノダイヤモンド引退に寄せて

昨年12/26ですから、クリスマスの連休明けになりますね。競走馬登録抹消となりました。

サトノダイヤモンド号が競走馬登録抹消 JRA

まずは戦歴から。

www.jbis.or.jp

改めて眺めて、前半と後半の戦歴はとてもわかりやすいコントラスト。これだけ見て後の世代のファンが、海外遠征がよくなかったのでは?という感想を持つならとても妥当でしょう。実際そういった印象はもちますしね。

「喉」と「左後ろ=右前の蹄」のトラブルの影響

喉の炎症については凱旋門賞の敗因を探る中で初めて聞こえてきたと記憶しています。ソースを探したのですが、それ以前のニュースには出くわしませんでした。一方、川田が調整して京都大賞典に臨んだ左後脚のトラブル、こちらはラスト3戦を通じて徐々に良化していった模様。でもいつから不安を抱えていたのかは明確ではありません。

どちらもフランス遠征がきっかけであるなら、その後の戦歴は故障との戦いであったと理解することができます。ただ、はっきりしたコメントは報道にはのっていなかったでしょう。勝負事ですから、これを伏せてレースに臨むことを否定するものではないと思っています。

例えばハーツクライジャパンカップ、橋口師の喉鳴り発症を公表したこと。あの判断は諸事情を勘案してのことでしょうしそれ自体は賞賛すべき態度ですが、通常でないからこそ尊い判断なのだと理解しています。

トラブルがなければ?

そりゃあこうしたタラレバは思いつきますが、カラダを壊さないことも立派な強さのうちですよね。2度のライバル対決を経たキタサンブラックは目立った故障なしで競走生活を終えましたから。

トラブル発症の元を海外遠征とした場合、海外遠征がなかったらというタラレバも浮かぶわけですが、国内G1制覇の向こうに凱旋門賞をみている池江親子と里見オーナーの視野から考えても、やっぱり仮説自体が非現実的かなと。競り落とされた瞬間からここまで、やっぱり大きくは必然のストーリーであったのかなと。

早熟という師のコメントについて

ふるさと案内所の重賞ウイナーレポート、阪神大賞典時のレポートですが、その中でノーザンファーム空港の佐々木厩舎長が「育成時から良くなるのは古馬となってから」と話しています。自分も少なくとも3歳春の時点では未完成と理解しつつ本命に推していましたし、一般的にも早熟の評価を得続けてきた馬ではない認識です。

uma-furusato.com

池江師の早熟という評価は、ジャパンカップ後のコメントでははっきり述べていたように記憶しています。競走馬としての馬体の完成、体質、競走成績の見栄えなど総合的に勘案して(馬体や体質など、一般に伝わりにくいことも考慮して)、「早熟」という言葉で管理馬の評価を守ったように見えていまして、馬体のトラブルに起因して成績を下げているサトノダイヤモンドへの擁護に聞こえるんですよね。

決してそのスタンスを否定するものではないですし、こちらの理解しきれないところでの個体への妥当な評価であるかもしれないのですが、この言葉を選んだことが現時点でのサトノダイヤモンドの評価をかえって曖昧なものにしている気がしています。

先のハーツクライは喉鳴りの事実を背負って1戦し、それをもって引退となりました。仮にこのくらい明快に引き際をストーリーテリングできれば、有馬記念を負けたことで種付け料が100万下がるということもなかったのかなとも思う次第です(当初400万との報道があり、最終的に300万で公表)。

いずれにせよ外野の立場ですのでこちら側で邪推するばかりなのですが、2018年を通じて、明らかに引退と判断できる症状や状態ではなかったのかなと。陣営が可能性に賭けるだけの状況があっての2018年シーズンだったように思っています。引き際の難しさ、というべきでしょうか。

もし、ダービーを取っていたら。成績が振るわないことでの引退の判断はもっと早くにされていたかもしれません。ひょっとしたら3歳時に凱旋門賞にチャレンジしていたかもしれません。師自らプレゼンしなくても早熟の評価を得ていたかもしれません。

…うーん、でもダービーを取れかったからこその菊花賞有馬記念であるわけで、やっぱりタラレバの入り込む余地がないんですよね。

可能性の頓挫

4歳の天皇賞春の後に、そのまま遠征をせずに国内で秋を迎えていたら。当時のこの陣営ではあり得ない選択でしょうが、これがサトノダイヤモンドの個体がもつポテンシャルを十二分に発揮するローテーションだったかもしれません。

…ずっと書きながら考えていて、自分が書きたい要の部分がようやっと要約できてきました。

完成したサトノダイヤモンドを見た気がしていないこと、これがただ心残りなのですね。まだやれただろうし、チャンピオン足り得た存在であろうと。その見立てをもって本命を打ち続けてきたわけですから。

ラストランは個人的に葛藤の多い▲

ラストランとなった有馬記念は、サトノダイヤモンドがついにチャンピオン足り得ないと判断して、本命視することをやめるまでが大変でした。その可能性が潰える瞬間を見たくなかったのかもしれません。

仕上がりは連勝時のそれに及ばず、鞍上はサトノダイヤモンドの価値をよくもわるくも知ることのないアヴドゥラへ乗り替わり、そして馬場は苦手と思われるコンディションへ悪化。レース前にピリオドを打つのは寂しかったですね。

見て取ったカラダの変化

ルメールが乗り替わる戸崎に伝えていますから、大阪杯の時ですね。瞬間的な加速力に劣るところがあるタイプというのは、主戦も理解していた特徴でした。3歳時には顕著だったと思います。そのかわり伸びやかなストライドで息長く加速することができていて、それが大きな武器であり魅力であった認識です。

ただ、古馬になりトモの筋力がついてきてからは、瞬間的なシフトアップ力が増したものの、伸びやかなストライドが影を潜めてしまった気がしていまして。くしくもダービーを分けたマカヒキも同様の認識、ただこちらはフレンチデピュティという血統がなせる業と思っています。

息長い末脚が見られなくなったのは喉の要因が大きいかもしれません。このパンプアップの時期と重なってくるので外からの要因分析が難しいわけですけどね。

ディープインパクトの後継種牡馬として

凱旋門賞を獲れないまでも、一定のパフォーマンスを示していたら。欧州や豪州から積極的なオファーが舞い込んでいたかもしれません。遠くないうちにシャトルしているかもしれませんけどね。

ちょうどディープインパクト血がが請われた時期というのも、海外遠征を後押しする背景であったでしょう。国内の馬場が最適だった(と思われる)あの雄大ストライドにはなかなか酷なミッションが課せられていたと改めて思い至っています。

それでも母系を通じて様々なタイプがでている父親と同様の特徴を示すような気がしていまして。素人の願望ですかね。

最後に

様々なカテゴリーでG1ができていますので、各馬の特徴に合わせて目標とするG1が分散していったのが平成の競馬であったと理解をしていますが、ダービーだけはマイル以上の適性をもつ3歳にとって共通の目標であり続けています。

ここ数年、自分がダービー本命馬を強く意識している傾向にあるのも、そうしたガチンコ感を感じ取っていることがあるのかもしれません。

2016年のダービーは鞍上ルメールが握手を求めたことまで含めて、ひとつも後悔のない本命でした。有馬記念制覇も、京都大賞典の復活も、天皇賞春とジャパンカップの決定的な敗北も、原点はこのダービー本命にあると思います。

…好きだったなぁ、のひと言で済ませないあたりが込み入ったファンである証拠ですね。

最後まで見届けられてよかった。楽しませてもらいました。ありがとうございました。