more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

追悼ディープインパクト

8月にはいってからこちら、ディープインパクトを振り返る時間が増えております。

訃報のあった週に次々とリリースされた記事やブログ、引退直後に発売されたサラブレの冊子、ポニーキャニオン発売のDVD、馬好王国の特集(奮っていましたね)、などなど。いろいろと現役当時を思い出しながら、もう一度あの衝撃を堪能いたしました。

…こういう文脈で「衝撃」という言葉を用いると「インパクト」に上手く引っ掛けた感がでるから文章は難しいですね。端的に、ワクワクしながらレースを見届けた結果のインパクトですから。最近ファンになった方はアーモンドアイのジャパンカップが近しいインパクトになるでしょうか。

ディープインパクトのレース、直接観たのは、弥生賞、ダービー、菊花賞ジャパンカップの4戦です。個人的なブログですから、まずはそこから、さらさらと思い出語りをいたします。

あ、ひとつだけお断りを。レース結果や有名なエピソードなど、プレーンな情報についてはご存じである前提で書き進めます。それを説明すると長くなりますので。…それも個人的なブログだから好きにせえという感じですけどね。

弥生賞で得た確信

若駒Sの衝撃からこちら、関東のファンとしては初めて生でディープインパクトを観ることになった弥生賞。期待感をもって自分も現地観戦いたしました。パドックで拍子抜けしたことをよく覚えています。見栄えのするところがないといいますか、素人でもわかるような強く主張するパーツや動きがないといいますか。450kgに満たない馬体ですので、小柄な上に細身。柔らかさは認めつつも、これ?という印象が強かったのを覚えています。

ただレースは凄かったですね。いや、当時のレース後の論調はクビ差の辛勝に疑問を呈する方が強かったはずです。自分はその場で相当ヤバいと思っていました。これは3冠あるぞと。…自慢っぽいですね、でもいいか。

中山2000のスローペース、これを後方待機から4コーナー馬なりで馬群の外を捲る、これは相当なロスになります。距離ロスのない先行馬は余力十分ですから。ふつうの馬なら登坂で失速、好位のインで立ち回ったアドマイヤジャパンの完勝でしょう。これで負けないの?という驚きが勝っていました。

その後、ゴール直前まで手前を変えていないことが語られるようになりました。ディープにとってはまだ余裕があったのでしょう。また、映像を見直して思ったのは皐月賞の4コーナー。初めてレース中に鞭がはいるのですが、弥生賞の経験からディープの中にここはまだ馬なりでは?という理解があったのかもしれませんね。

ダービーのパドックで見せたファイティングポーズ

尻っぱね、なつかしいですね。当時、落ち着かず暴れる様は一般的に「入れ込み」という言葉で括られていたように思っています。馬にもやる気があって、気持ちが余ってのファイティングポーズがあることはどこかで学習していたのでしょう、自分は安心しながら現地のパドック観戦を堪能していた覚えがあります。あ、アクシデントがないように祈ってもいましたね。

後々、同じ母系のレイデオロのダービーでも同じ仕草が見えたと記憶しています。馬券につなげられないあたりがダメなのですが。

レースの凄さはもちろんですが、今後の可能性にワクワクする感覚はダービー特有の余韻でしょう。ディープ以外ですと、オルフェーヴルドゥラメンテかな。当時は3冠をスキップする発想がまだまだマイノリティだったはずで、まず3冠、という期待感でしたね。

しかしインティライミは完璧でした。そのあたりは当時の鞍上がnetkeibaで振り返っていますので是非。

菊花賞は異様なムード

個人的には初の京都競馬参戦となりました。思えばよく諸々のチケットが取れたなと思います。

京阪で淀駅まで行く間、社内の吊り広告がすべてディープインパクト、いやシンボリルドルフディープインパクトが並んで掲示されていました。無敗の3冠達成を疑わない空気はこういう演出の積み重ねで醸成されていったという記憶があります。またこのポスターがかっこいいんだ。

レースは4コーナー寄りで観ていました。さすがに馬場からは離れた位置でしたが、武豊が手応えを見ながら直線に向く姿に「おそらく大丈夫!」と思ったのはよく覚えています。予定調和的な気球も見上げていましたね。

帰り道は大混雑でした。線路沿いの道が人で埋まり、淀駅の改札がひとで埋まって見えないという状況。電車に乗り込むまで随分かかっていたはずですが、もう感動が再生中ですからね。あんまりちゃんと覚えていないのが正直なところです。

その日は1泊、京都から少し外して彦根に宿を取りました。深夜に関テレの3冠達成を記念した特番を観たのを覚えています。

名誉挽回のジャパンカップ

引退発表、禁止薬物という重たいキーワードが並んでいましたが、パドックではいつものディープインパクトかを確認していました。古馬の体つきになったという印象と、ハーツクライの喉鳴りをどう見積もるかに頭を使っていたと記憶しています。

直線の歓声は悲鳴のようでしたし、ウイニングランは名誉挽回の安ど感に満ちていた、という印象。ディープはできうる走りをしただけでしょうが、集まる人の感情が大きく揺さぶられていた、そういう存在になっていることをじわじわ噛み締めるような観戦でしたね。あ、鞍上といっしょにバンザイしていましたよ。

当時、転職直後でいろいろと緊張していた時期でしたので、喜びも強かったかもしれませんね。…そうなんですよね、名馬の思い出には当時の自分は何をしていたかが紐づいているんですよね。この語りは競馬ファンの特権と思います。

現役時代を振り返っていろいろ再発見

主にDVDになりますが、改めて見返すといろいろ気づきますね。このあたりもこのタイミングで記しておきたいと思います。…案の定長くなりそうですが、ご容赦くださいませ。

コーナリングのフォーム

神戸新聞杯の4コーナーがとても分かりやすかったのですが、ひとつ内のインティライミが普通にコーナリングしているのに対し、ディープは斜めにカラダを倒して走っています。

あのアスリート然とした角度はカラダの柔らかさ、特につなぎの柔らかさが可能にさせているのでしょう。バイクのレースで車体を倒しながら片膝をこするようにコーナリングする姿がだぶりました。有馬記念の4コーナーはよりその迫力が増していますよね。

阪神大賞典の捲りを深読み

直線で強い向かい風になるコンディション、これをうまく攻略したようです。3、4コーナーで外々を進出、直線入口では逃げ馬を捉えてしまいました。おそらくインの馬を風除けに利用して体力のロスを抑えつつ、直線の向かい風を受ける前に勝負を決めるという戦略だったのではないかなと。ディープの心肺機能を前提にしないと成り立たない戦略ですよね。

天皇賞春は個人的に好きなレース

ディープ産駒が京都で強いことのルーツ、下りを上手く加速する様を最も鮮やかに観ることができます。

そうそう、3コーナーで捲った際に、インにいたローゼンクロイツ安藤勝己が張って邪魔をする姿、これもまた印象的です。少しでも大回りさせようとする立ち回りはいやらしくも技ありと評すべきでしょう。武豊的には接触のリスクがありますので、だいぶ嫌だったみたいですけどね。皐月賞、ダービーでも観られる光景です。

ハーツクライよ、ハリケーンランよ待っていろ!」という馬場アナの台詞でぶわっと思い出しました。思えば、ドバイシーマクラシックを制したハーツクライキングジョージ遠征、ディープはこのレコード勝ちを踏まえて凱旋門賞遠征。これらを直前に控えていたわけです。天皇賞直後のワクワク感は半端なかったなぁと、改めて。贅沢な瞬間でしたね。

有馬記念での「完成」とは

「生涯最高のレースができた」という武豊のコメント。装蹄師の西内さんがこのラストランで初めて2ミリのスパイクを履かせることができた(=スパイクの引っかかりに耐え得るだけのパワーが全身についた)とエピソードを披露しているように、フィジカルの完成を指すものと思っていました。

ただ、改めてレース映像を観て、ひょっとしてスピードのコントロールについて含んだ発言だったのかな、と思い至っております。

直線抜け出してから、やめようとしたところ肩ムチ、これでもう少し加速し、鞍上が手綱のアクションを緩め重心が変わったところで減速しながら耳が立つ、という一連のやり取り。これまでは合図を受けたらすぐに全開でドーンと走ってしまう、という内容だったのが、鞍上の指示に沿った必要なだけ加減速するという、とてもコントローラブルな状態になっていたのではないかなと。

ロスがない、より理想的なパフォーマンスが可能になってきたといえるでしょう。…この状態で凱旋門賞に臨みたかったですねぇ。

ウインドインハーヘアの故郷バロンスタウン牧場の映像も

少し脱線しますが。ポニーキャニオンのDVD、おすすめです。サンデーサイレンスウインドインハーヘアの双方の故郷を取材する企画が込みになっています。ウインドインハーヘアについては、祖母バーグクレアにアルザオを選んだ理由などを場長にインタビューしています。貴重ですね。ぜひ。

種牡馬ディープインパクトの影響

競走生活のフリカエリが多いのは、やはりリアルタイムであの喧騒を感じていたからでしょう。種牡馬としての実績や影響力についても触れるべきでしょうが、個人的に本馬と産駒は思い入れが異なるんですよね。サトノダイヤモンドもディープ産駒だから気に入ったわけではないですし。

産駒の一覧はこちらで確認できます。

www.jbis.or.jp

すでにBMSとしても実績を出しております。一覧はこちら。

www.jbis.or.jp

歴史を鳥瞰した際のその存在意義については良質の評論を待ちたいと思いつつ、やはり産駒を輸出して国外のG1で結果が出たのはやはり衝撃的でした。以前のブログで海外からその血が求められる件について触れていますが、その時からは随分状況も変化しました。投稿がサクソンウォーリアーの2000ギニー前ですからね、そりゃそうです。

keibadecade.blog98.fc2.com

サイアーオブサイアーとしての拡散

リアルインパクトキズナワールドエーススピルバーグは今年が初年度産駒のデビュー。ディープの訃報に前後して、サトノアラジンニュージーランドミッキーアイルリアルスティールはオーストラリアへシャトルが決まっています。すでに産駒が種牡馬となって活躍する時期が来ていますね。自身がシャトルされることはありませんでしたが、産駒の種牡馬シャトルされることで別地区への血の拡散が進んでいく模様です。

いずれはキタサンブラックを通じて、ブラックタイドディープインパクトの全兄弟クロスとか、見られるのでしょうね。兄弟、あまり似てないですけどねw

DVDには吉田勝己さんも出演されていまして、「外国のG1を獲りに行かなければダメ」「でないと世界に認められていかない」というコメントを残していました。この国外へプロモーションしないとビジネスが拡大していかない状況は、いまも変わっていないのでしょう。

国内市場が頭打ちになる想定なら国外へ販路を求めるという姿勢、これは妥当な判断でしょうから。こうした時々刻々とした大きなマネーの動きの中で名血が広まっていく、というのはサラブレッドの歴史が証明しているところです。

そうか、こうして日本から血の輸出が本格化していく契機としてのディープインパクトであるなら、ここにきて実に「日本近代競馬の結晶」という形容がふさわしくなっているのかもしれません。馬場アナ、慧眼ですね。

苦しいところがない、という魅力

ちょうど週末は全英女子オープン、海外メディアにスマイルシンデレラと呼ばれた渋野さんが優勝しました。ばっちり観ていたことも、これを書くのが遅れた要因なのですが。

あのプレッシャーのかかる舞台で笑顔でプレイできること、それが単なるポーズではなくリラックスであって、そのメンタルの中で積極的で臆さないアプローチを続けていたように見えています(もちろん技術の裏付けがあっての結果でしょう)。

ディープインパクトの走りもちょっと通じるところがあるかなと。レースを嫌がる素振りや、他馬としのぎを削るといったストレスを感じさせる場面がないですよね。それでいてあの圧倒的なパフォーマンスですから。プレッシャーという言葉は周辺のひとからはたくさん聞こえていますが、馬には苦しいところがとても少ないように見えています。

精神的なストレスで駆動しないヒーロー、とでも表現するのがよいでしょうか。応援する側も競走への前向きなメンタルと圧倒的なフィジカルを堪能できたわけで、これがディープインパクトの魅力の一端であるのでしょう。

最後に

土曜に府中の競馬博物館で記帳を済ませてきました。スペースが狭いためでしょう、スタンド内に設置されたそれより少し簡素な献花台、その横に記帳台も設けられていました。記帳後はそのまま「競馬の殿堂」エリアへ。これまで映像をみることができた一角が新たな殿堂馬のためのスペースとして改築されていました。

ディープインパクトの位置は変わらず。ただし、没年がまだ記載されていませんでした。

あ、いや、仕事が遅いといいたいわけではなく。…というより、こういう仕事は必ずしも迅速でないほうがよいでしょう。亡くなってからまだ日が浅いことの確認ができた、というべきでしょうか。

先に逝った顕彰馬のパネルには没年を記載したシールが上から貼られていまして、もう少ししたらディープのパネルにもシールが貼付されていると思われます。時間は妙薬、ゆっくりひとつひとつ事実が積みあがることは、喪失感に対しては健全な推移と思いました。

博物館正面出入り口に抜ける通路には歴代の大種牡馬の肖像とリーディングサイアーの一覧。ノーザンテーストサンデーサイレンス、そしてディープインパクト。長期政権が続いたリーディングの傾向が一目でわかります。これからどうなっていくでしょうね。

 

書ききれなかったこともまだまだありますが、このあたりで。

不世出の名馬、その走りは自分が競馬で堪能したい「例外」そのものでした。ゆっくり休んでください。お疲れさまでした。