more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

顕彰馬の選出基準についての私論

先の投稿の続きになりますね。顕彰馬の選出基準について、少し考えたところを書いておこうと思います。

投票に当たって考慮すべきディテールも尺度も明示なし?

選出基準にあたる表現とその条件、今年についてですね。以下、引用いたします。

中央競馬の発展に特に貢献があった馬および調教師または騎手について、その功績を讃え、顕彰を行っております

1999年4月1日から2019年3月31日の間に競走馬登録を抹消した馬
注記:現役馬および競走馬登録抹消1年未満の馬は選考対象外

引用元はそれぞれ以下。

www.jra.go.jp

www.jra.go.jp

どこかに顕彰馬の選出基準について明記があればと思っていたのですが、JRAのサイトには先に引用した表現しか見当たらず。もし取り決め自体がないのだとしたら、どんな実績を考慮するのか、競走成績と繁殖実績をどんなバランスで考慮するのか、ということは投票者各自の主観に委ねられていることになりますね。

主旨に照らしたルール拡張、追加を希望します

G1勝利数が3つ以上など、過去の基準として存在していた認識はあり、これに照らしている向きもあるのでしょうが(もはや呪縛のような印象もありますが)、そもそも過去20年間に競走馬登録を抹消した馬が選出対象ですから、例えばノーザンテーストサンデーサイレンスはこの暗黙の基準にも該当しないわけですよね。

上記の引用からは「中央競馬の発展に特に貢献があった馬」が表彰の対象なのですが、日本で競走馬登録を行わなかった馬は貢献があったとしても対象にならない前提がそこにあります。あのリーディングサイアーは競馬の発展に特に貢献はなかったのか、という指摘にはどんな回答が可能でしょう。

貢献があったと認められる馬は、競走馬登録のあった国の区別なく評価されてほしいと願うところです。

また、別の視点になりますが、その都度の投票者がいい意味でバランスを取ることも可能である一方、投票者の主観に寄せた現行制度は極端な考え方が反映されうる仕組みでもあります。そうしたいわゆる「抜け穴」に関して抑止にあたるルールを追加しておくことは検討されてよいように思っています。

変更のアイデア

関連して、2つのアイデアを包含した、以下のツイートを引用してみます。

ひとつめは一定の基準を満たした馬を顕彰馬に選出するというもの。絶対評価ですね。こうすると確かに明瞭ですっきりするのですが、具体的にどういう基準を設けるかは難しいと感じました。

対象となる20年間で、国内外のG1数やそのステータスの推移、開催日数、日本で登録される競走馬の数、JRAの売上などなど、変動する要素はなかなか多岐に渡ります。これをすべて吸収して、少なくとも20年を超えて時間の経過に耐えうる基準をまとめる、というのはなかなか悩ましい議論になりそう。基準設定の難しさを重く捉えているところです。

もうひとつ、繁殖について部門を設けて表彰するというアイデア、こちらは賛成です。ただ、現行と同様のルールで投票する場合、おそらく関係者間の忖度が強くなりすぎてしまうでしょうから、一定の基準を設けて絶対評価での選出が適当と考えます。

基準設定で相当に揉めるんだろうなーなどと邪推していますけどね。

顕彰馬制度の追加ルールに関する試案

どちらかというと自分は、現行制度がもっている投票者の主観が介在する「余地」を残すべきだと思っています。これまでの呪縛も含めて、ですね。毎年投票があることも、ある種の「補正」が効く制度設計であると理解しているところです。

ただし、これまでの議論の通り、一定の条件を付記する方がより主旨に照らした選出結果になるのではないかと考え、以下の3つの追加ルールを試案としてまとめてみました。

  1. 種牡馬繁殖牝馬の表彰部門を新設する
  2. 投票者は必ず1票以上を投票すること
  3. 過去5年で得票率10%未満の馬にしか投票実績のない投票者は、投票する権利を失う

ひとつめは先ほどからの議論の通りですね。アイデアそのままお借りした形で申し訳ありませんが。新設に合わせて過去に遡って該当馬を表彰する、という思い付きも付記しておきます。

ふたつめは無投票の抑止、設定することで選出をいまより促進する効果を見込んでいます。さすがにいらっしゃらないとは思いますが、ハイセイコーオグリキャップと比べて日本の大衆に影響がないからと20年無投票とか、極端すぎますものね。こうした極端さをルールとして排除するのが目的です。

みっつめは投票者の見識を問うものです。中央競馬に関する捉え方、現状では相当極端な場合でも許容してしまう可能性がありますので。そこで、仮に投票者が200名前後で推移すると仮定して、10名を割ってしまう少数意見ばかりを主張する考え方の持ち主は、中央競馬への貢献について妥当に検討し投票を行う見識に欠けると判断するのはどうかなと。投票権を維持するために、少し日本人らしい?忖度を求める前提のルールになりそうですけどね。

最後に

専門家の知見に委ねれば大丈夫とは思っていないのですが、ファンに委ねるばかりでも顕彰馬の価値を維持することは難しいように感じています。確かに顕彰馬を自分で選んでみたいとは思いますけどね。

ファンに開放した瞬間は盛り上がるのでしょうが、様々なバイアスがかかって、時間をかけて顕彰制度の価値は棄損されていくように思います。

ちょうど、セレブのファッションがファストファッション的に一般化していくように有難みがなくなっていく、という例えが程よいように感じていますが伝わりますでしょうか。

特別なものを選出する、というプロセスであり続けるために、敬意を背景にしながらの制度設計と運用が肝要と思っています。…まじめですね。はい、まじめに考えてみました。

最後の最後に。自分なりに調べられる範囲で情報収集していますので、あちこち穴だらけ、という状況になっているかもしれません。その際はやんわりご指摘くださいませ。