more than a SCORE

1996年から競馬を開始。20年続けてなお楽しんでいくための備忘録を兼ねた日記。

追悼マヤノトップガン

27歳、老衰による死亡とのことです。

2年前に優駿スタリオンステーションにお邪魔していまして、その際に遠巻きに見たのが最後でした。観光客が歩ける位置から距離を取りながら我関せず、といったように見えていましたね。まだ元気だなという印象でしたが、その時で25歳ですものね。

96年のダービーから競馬を始めていますので、90年代後半の競馬は鮮明に覚えている名馬やシーンが多く。その夏から競馬の知識を吸収し始めましたので、ちょうど前年の年度代表馬であり、ナリタブライアンとの名勝負を演じ、グランプリホースとなったマヤノトップガンは書籍、雑誌での評価をよく目にする1頭でした。当時はオンラインで映像配信という概念がありませんので、ビデオソフトを買って映像を振り返りながら(Number Videoでしたね)、97年春の濃密な時間を過ごしたことを覚えています。

JRAの発表はこちら。

www.jra.go.jp

JBIS-Searchのページはこちら。競走成績、種牡馬成績も確認できます。

www.jbis.or.jp

1番印象深いのは1997年天皇賞(春)

月並みでしょうかね。でも鞍上田原と同じように?悩ましい天皇賞ウィークを過ごしていました。いや、当時はラップタイムであたりをつけていくような予想はしていませんでしたので、予想というより贔屓ですよね。

サクラローレルの底なしのスタミナにどう対抗するのだろうと思いつつ、前走阪神大賞典の追い込み転換に田原の布石を読み取っての本命という。それでワクワクする3分14秒を手にしたわけですから、幸せでした。

3:14.4はディープインパクトが更新するまでの天皇賞レコード。公式レースラップ、以下の通りです。
13.1-12.6-12.1-11.9-12.3-12.2-11.8-12.8-12.4-12.6-12.1-12.0-11.7-11.2-11.6-12.0

4番枠からスタートして、1周目の3、4コーナーでかかり気味に番手を上げ、2周目の向こう正面では12、3番手まで下がり、2周目の下りはサクラローレルマーベラスサンデーの早々のスパートをインで詰まって追撃「できず」、4コーナーで外を回す。…。こうやって振り返るとダメなリードに読めますねw

でも、遅いラップで動き、速いラップで控える、と捉えると、田原の判断が機敏であったことが窺えます。残り1000の手前から「始めてしまった」サクラローレルに、間髪入れず追撃を開始する武豊はとても攻撃的。ディープインパクトキタサンブラックも4コーナー先頭で押し切りましたが、サクラローレルマーベラスサンデーのそれは意味合いが異なるでしょう。

3、4コーナーで「動」の2頭に対して、動けない間はあったでしょうが「静」に徹したマヤノトップガン、大外から差し切ることが叶いました。

戦前は禅問答のような鞍上のコメントが話題になっていました。勝ったことで熟慮を重ねた作戦、というストーリーに昇華されていたように記憶していますが、あくまで田原のペース感覚と経験があの進路を選ばせる反応に至ったのだろうと思っています。

1996年天皇賞(秋)の2着が印象深く

マヤノトップガンという視点で語られることが少ない印象ですが、実は本領発揮していたのはこのレースではないかと思っています。勝ったのは3番手インで追走したバブルガムフェローですね。

公式レースラップはこちら。
12.8-12.1-11.4-11.9-12.1-11.8-11.9-11.7-11.0-12.0

スロー気味で流れて、直線の登坂箇所がエクイターフ並みに速いことが特徴的です。…計時がちょっと怪しいのかしら。でも、直線に向いてバブルガムフェロー蛯名が馬なりで仕掛けを遅らせる姿がラップの特徴をよく表しているように思っています。

マヤノトップガンは8番枠からスムーズに先行し、道中はほぼ6番手で直線に向く流れ。11.0を追撃する末脚はステイヤーで括るには速い回転力を見せています。ラップで理解してはいませんでしたが、この時の瞬発力のイメージが、翌春の本命視につながっているのは間違いなく。

戦歴の中で東京コースはこの1戦だけ。東京のスローは合っていたのではと思わせます。できればジャパンカップでその姿を見てみたかったですね。個人的にはシュヴァルグランのようなレース振りが観れたのではないかとイメージが膨らんでおります。

血統には疎くもBlushing Groomに注目するきっかけに

同世代のファンはたいがいダビスタウイポを触っているでしょう。自分も例にもれず、ダビスタで血統の知識をかじったクチです。初代プレイステーションのあたりは攻略本と並行して血統関連本も発売されていました。いまから思うと成沢大輔さんのスタンスがよく表れていたのだろうと推察できるのですが、当時はそういうものとして、素直に読み漁っていましたね。

インブリード効果のある以前の名馬はこれでインプットされています。Blushing Groomの柔軟性というのはその頃に覚えたような。当時の本、もう一度読み直してみたくなりました。実家に眠っているはずですね。。。

望田潤さんは独特なトーンで追悼記事を書かれていました。緊張と緩和はここにも見出せるのですね。

blog.goo.ne.jp

最後に

自分の競馬歴は20年を超えております。ブログタイトルは20年を意味するscoreに変えて久しく。90年代後半に活躍した名馬は大半が20代後半というのはこの個人的な記号からもわかっておりました。

つまり、こうした訃報を耳にする時期であることも理解はしているんですけどね。やはり寂しさは覚えるものです。

ただ、会いに行けるうちにという思いもある一方、こちらの脳裏に残るあの頃の勇姿と余生を過ごしている実馬の姿、そこには少なくない断絶があるはずなんですよね。自分はフサイチコンコルドでそれを確認しましたので、無理に機会を作ろうとは思っていない状況ではあります。

一方で変に実馬を拒絶する潔癖感もありませんので、もろもろタイミングが合えば、また北海道の牧場巡りをしているでしょう。お墓参りが可能であればその時にと思っています。

 

栗毛の明るい馬体に黄色の長手綱、カッコよかったなぁ。忘れがたいですね。

おつかれさまでした、どうぞ安らかに。