前回の投稿では、ステークホルダーごとに国際化のメリットが異なるだろうという整理を試みました。今回は視点を変えて、国際化という言葉の中身を、少なくとも以下の2つの側面に分けて捉えた方がよいのでは、という議論を試してみたいと思います。
- 国際交流
- 国際基準への適合
この2つの視点に分けるというのもあくまで個人的な着想ですので、そんな意見もあるのね程度に眺めていただければと思います。でも、この2つは随分異なる視点だと思うんですよね。その差と相互作用しているであろう状況から、国際化の効果を自分なりに整理してみます。
「国際交流」と「国際基準への適合」の違い
国際交流、だいぶ幅広く使われる表現ですが、異なる国家や地域間の交流を指している、という表現でおおよそ外していないでしょう。交流という言葉には2者以上の質的差異がある主体があることを前提としています。
一方、国際基準とは国際間のルールの共通化を目的に策定されます。差異を揃えて同じ枠組みを適用することで、主に国際間の取引、製品の利用やサービスを受けることが容易になる、あるいは活性化することを狙いにしているという認識です。
例えば、ISO。カメラに詳しい方はよく耳にされていると思いますが、国際規格を策定している組織のことで、9001や14001などを取得されている企業に勤めていらっしゃると多少ピンとくる方もあるのではと思います。取得していることが取引や入札の条件になる場合も珍しくないと思います。
…やっぱりちょっと内容が固くなりますね。競馬から離れがち。例えをだすとその例え方の整合性に話が逸れていく雑な議論にも似ているでしょうか。
極力、端的にまいりましょう。2つの言葉には、国ごとのギャップを前提とするか(国際交流)、国ごとのギャップを埋めて統一化を図るか(国際基準)という違いがあると理解できます。違う国と関わっていく、という意味では同じなのですが、アプローチは異なっていますよね。
これまでの競馬での取り組みに照らすなら、国際交流はハクチカラまで遡ることができるもろもろの海外遠征を指すでしょうし、一方の国際基準への適合は、ICSCによるパート1国認定が典型でしょう。
人馬の国際交流は総じて進んでいる
日本から海外に向けての遠征は、もういわずもがな。ジャパンカップを契機に、様々な国から遠征してくるケースもまた珍しくはなくなっています。近年チャンピオン級が来日するまでの動機付けはできていないように思いますが、それはまた別の項で。
あー、例えばドバイワールドカップでアメリカのチャンピオン級と日本の牝馬がワンツーする、ワールドワイドな交流も目にしましたね。当時のナドアルシバ競馬場はアメリカのチャーチルダウンズ競馬場をモデルにしていますから、複数の価値が輻輳している現場に日本も参加できているのは確かでしょう。ええ思いついたレースをパッと書きました、トゥザヴィクトリーですね。
別の視点で、姉妹都市のように国家間や競馬場間で提携していることは、ニュージーランドトロフィーやサウジアラビアロイヤルカップのレース名に表れています。調べたらちゃんと名前がありました、交換競走というんですね。
アーモンドアイの国枝師は84年にドバイ奨学生制度を利用していたり(このあたりはサラブレ年鑑2018が詳しいです)、フランスの小林智師が日本の人馬の受け入れに積極的だったり、短期免許制度で海外のリーディング上位のジョッキーが日本の競馬に参戦していたり。
例を挙げたらキリがないですね。ブラッシングから引き馬の所作から鞭の持ち替えから。様々な国際交流の機会を通じて客観化された習慣や技術もまた多かったと理解しています。
国際基準について、言い訳から
一方、国際基準についてですが。競馬にかかる国際基準って?という予備知識がそんなにないところで着想だけしていますから、例えばパリ国際競馬会議と呼ばれるIFHAの年次総会で取り上げられるテーマなど、いろいろ参照しようと思っていたのですが、これを詳しく調べる時間がなかなか取れず。。。
お仕事的に繁忙期なのにこんなテーマを書き始めてしまったのが完全に不覚なのですけどね。国際基準には至っていなくても、検疫やドーピングの問題など議論が進んでいるテーマはあるはずで。
いちおう2018年のカンファレンスについてレポートがありますので、ご紹介まで。200スライドくらいあるパワーポイント資料が複数。。。追って、読みます。
そもそもの疑問、国際基準はあらかじめ整備されている?
先のウマ科学会では検疫の問題が取り上げられていました。競走馬、競技馬については「Bubble to Bubble」という発想で、一般的な馬の移動と分けて捉えようという取り組みが進んでいるようです。防疫の観点から通常は国家間での取り決めが優先される事項ですが、一方でオリンピックを控えている日本には馬術競技の馬をどう受け入れるか、喫緊の課題になっているうようです。
禁止薬物やレース上のペナルティについても、主催団体ごとに異なる基準で運用されているのが実態。先日フランスでレース中の鞭の使用回数を減らす判断がありましたが、この回数に関するルールも各国で細かい差異が見られます。
むしろラシックス(鼻出血に使用する薬)のルールの差に目をつけて遠征を敢行したトレイルブレイザーの例もあります。ルールのギャップを戦略的に利用することもあるわけですね。
もっと具体的にいろいろ例示できるとよいのですが、競馬施行に関しては国ごと(主催団体ごと)にルールの差があるのが基調、徐々に統一化に向かっている内容もある、という理解でおおよそ外していないものと思います。
前提として、あらかじめ統一された国際基準が準備され適用されている状況ではない、ということですね。
冒頭に例示したパート1国入り(=国際格付けへの適合と国際レースとしての開放)もこうしたギャップを埋めていく過程のひとつと理解しています。
そうですね、日本と諸外国の差を嘆いてガラパゴス化と結論づけるような意見には、この意味で少し冷静に議論を進めてほしいなと思うときがございます。
両者の相互作用が「国際化」の内実
国際交流によって価値のギャップが明るみにでること(=日本の競馬の「やり方」が相対化されること)と様々な改善への契機となること、その改善の一環として国際基準の策定と各国の適合へのアクションが生まれること、その適合によって国際的な競走馬の交流や評価が以前より容易になること。
冒頭で挙げた2つのアプローチは相互作用する関係にあると理解するに至っています。
数十年のスパンで見て、特に欧米の競馬との交流と評価がこの相互作用で活発化していったというのが「日本競馬の国際化」という言葉の内実でしょう。なにより日本のファンはその直線的な過程をずっと楽しむことができていると思うところです。
国際化の最大の受益者はファンかもしれませんね。
国際的なトレードは活性化していると言い難い?
ちょっと視点が変わるかな。ウマ科学会ではJBBAの方がその売り込みの難しさをプレゼンしていましたし、吉田直哉さんも日本競馬の認知はまだまだという主旨の発言をされていました。交流が進んだ先にトレードの活発化を展望することは可能でしょうが、これは販路拡大をどこまで望むかによるように思います。
ディープインパクトの血を求める動きは継続中という認識。例えばその他の血統を輸出する機会を引き続き狙っていくのはビジネスとしては自然な発想でしょうから。その目標を高く設定するならまだまだ、という言い方もできそうです。
国際化の効果が実感できるのは外資の馬主参入を請う時期、かも
一口馬主が広まったことで日本の競走馬の買い手になる枠組みは多少のアップデートをみていますが、外資が本格的に参入しないと日本の競走馬の妥当な買い手がいない、売り手も回っていかないタイミングがじきに訪れるかもしれません。
外資の注入が欲しいときに、肝心のコンテンツやサービスや競走馬が評価される土壌がない、では困ってしまいますよね。前回(2)の投稿でいうと、生産者が国際化に期待するポイントがこのあたりになると思っています。
…確かにこれは少し先の未来の話ではありますね。個人的には何らかの形で外資を呼び込む必要に迫られると漠然と推測していますが、ひょっとしたら国内資本で永く続くかもしれません。
スポンサーの絶対数を増やす努力も国際化の効用のひとつ、かも
凱旋門賞ですとカタール、アスコット競馬場はロンジンなど、大きなスポンサーシップをテコに事業継続を図っていると見受けられます。日本ですと国内の馬券売上が賞金額を支え、賞金額が競走馬の取引額の指標になっているでしょう。でも、こうした国内の循環がシュリンクしていった場合のテコ入れとして、外資への期待はあり得ると思うんですよね。…あー社会や経済を切るつもりはないのですよーw
国際化へ向けた様々なアクションがワクワクするコンテンツの提供につながった、という点を素直に喜ぶところで止めておきましょうか。いちファンだし。
ただ、価値の共有化が進んだことが新たな資本が乗り出す土壌作りに「結果的に」なっているのなら、国際化は妥当なベクトルであるとも思った次第です。
少しカウンター的に。日経の野元さんの見解はパート1国入りの動機として海外流通促進を持ち出すのは妥当ではない、というものだったようです。2004年の記事を見つけていますので、こちらも参考に。「迷走するパート1入り」というタイトルが示す通り、あくまで議論の最中で書かれた記事であるという前提で。
さて、国際化の取組みで昔より近づいている主要国の競馬の価値という議論にまとまりつつありますが、次の投稿では、決定的に基準を統一できないものとして「馬場」について語ってみようと思っています。…本気で終わる気がしない。。。