日付が変わってしまいましたが、あれから20年経つんですね。
日中、仕事の合間にTwitterを覗くとサイレンススズカの写真や回顧コメントが。ようやく11/1であることと、あの天皇賞秋から20年であることが脳内でつながった次第です。
先ほどまでRacing Viewerの映像をデビューから順に見直していました。香港だけありませんでしたがYouTubeには上がっていましたね。
上村のトライは先行策を身につけること、河内のトライは抑制の効いた走りをすること(おそらく逃げは結果論だったのではないかと)、そうした試行錯誤を経て、香港以降の武豊は控えずに伸び伸びと走らせる逃げの手を選択していきます。このあたりはもう語られ尽くしているところですね。
これだけの年数が経ってもファンの思いが強いのは、ストレスフリーで逃げてそのまま押し切ってしまうという天衣無縫さにあるのでしょう。いまでも見ていて気持ちいいですものね。…そうか、その後の悲劇との落差もまた、ひとを惹きつけてしまう要素であるでしょうね。
伝説の毎日王冠は生観戦。当時はグラスワンダーに肩入れしていましたが、サイレンススズカの強さもまた堪能していました。その分、天皇賞秋の4コーナーは信じられなかった。SNSがないというよりネットがまだ普及前でしたから、訃報は19時のニュースで確認したと記憶しています。
「ウマ娘 プリティーダービー」で若年層にも注目が集まったでしょうか。リアルタイムで観ていないと、もう伝説の存在ですよねきっと。金鯱賞で天真爛漫キャラを印象付けたまま、宝塚記念、毎日王冠で中距離戦線の中心となる、その評価までのスピードも速かったと思います。
アーモンドアイが桜花賞で一気に世代トップの評価を得て、オークスでそれを確かなものにしたように、宝塚記念→毎日王冠はまさにそうした評価を得ていった2レースだったと認識しています。サイレンススズカを中心に語られる競馬が、97年の初秋にはありました。
映像を観ながら、父サイレンススズカが実現していたらどうなっていただろうと。一貫したピッチで走り続ける様から、母系から強くて大きな筋力を補完されるなら、ひょっとしたらダートの大物を出していたんじゃないかとイメージ。しなやかなゴールドアリュール、というと多少の語弊があるかもしれませんが。
一定のペースで逃げて、府中のマイルを、中京のツーターンを、大井の2000を、そしてメイダンやチャーチルダウンズの直線を、あのフォームで独走する後継産駒。…いいですねw 見てみたかったですね。
悲劇を色濃く覚えていることも、それより当時のワクワク感が勝るのも、リアルタイムであの時期の空気を知っているからでしょう。ファン歴を重ねるとよいこともあると言えばいいのかな。
1998年毎日王冠のレースラップです。逃げて、かつ差していますよね。
12.7-11.0-10.9-11.4-11.7-12.1-11.6-11.4-12.1
稀代の才能を改めて惜しみつつ。次の才能にわくわくしていきたいと思っています。
それがなかなか難しいことも知っていますよ。